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名古屋高等裁判所 平成3年(ネ)678号 判決

控訴人

綾本晃宏

右訴訟代理人弁護士

内田龍

被控訴人

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

祖父江英之

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

主文同旨

二被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要

争点を含む事案の概要は、控訴人の当審における主張を次のとおり付加する外、原判決の「第二 事案の概要」欄に記載されたとおりであるから(但し、原判決一枚目裏末行の「争いのない事実」を「争いのない事実等」に改める。)、これをここに引用する。

(控訴人)

一被控訴人は、控訴人からの借入れ(以下「本件借入れ」ともいう。)をするに際し、自己の右借入れ前(借換え前)の貸主に対する根抵当権設定登記についてすでに自己が準禁治産者であることを理由とする取消しの意思表示がなされていることを熟知しており、したがって、本件借入れがどのような結果を招くことになるかについての知識も十分に持ち合せていたのにもかかわらず、控訴人に対して本件借入れの申込みをし、しかも、担保に供することとなった本件各土地の権利証については、妻に取り上げられているのに、紛失したなどと明確な虚偽を述べている。このような被控訴人の行為は、控訴人に対して損害を与えることを明確に認識した上での計画的な行為であって、借入れの申込み自体が詐術に当たるものというべきである。

二被控訴人は、民法の準禁治産者の制度を経験的に熟知した上で、これを計画的に悪用し、自己が準禁治産者であることを秘して控訴人から本件借入れをし、控訴人との間で本件根抵当権設定契約を締結したともいえるものであり、このような被控訴人の行為が信義誠実の原則に悖るものであることは明らかであって、被控訴人の本件根抵当権設定契約についての取消権の行使は、権利の濫用に当たるというべきである。

第三争点に対する判断

一本件根抵当権設定契約の締結に至る経緯

本件根抵当権設定契約の締結に至る経緯については、次のとおり付加・訂正する外、原判決の「第三 争点に対する判断」の一項に記載したとおり(同三枚目裏六行目の冒頭から同四枚目裏四行目の末尾まで)であるから、これをここに引用する。

1  原判決三枚目裏九行目の「原告は、」の前に「被控訴人は準禁治産宣告を受けた後も一向に浪費癖が治まらず、昭和五四年七月、本件土地に極度額を一二〇〇万円とする根抵当権を設定した上、株式会社エンタル宝石から馬券購入のための融資を受けたが、返済が滞ったため、同会社から同年一〇月に任意競売の申立てを受け、これを契機に同会社との間で和解が成立し、その結果、被控訴人の妻のエミ子が被控訴人に代わって、その後約七、八年にわたり合計約六〇〇万円もの和解金の支払を余儀無くされたことがあった。更に、」を付加する。

2  同三枚目裏一〇行目から一一行目にかけての「その後、右極度額は」を「その後、現実の借入額が増加したのに伴い、右の極度額も」に改める。

3  同四枚目表三行目の末尾の後に「エミ子は、それまでも幾度となく被控訴人の浪費癖によって被控訴人名義の不動産等を失ってきたところから、これ以上被控訴人の浪費癖によってその財産を失うことのないようにするため、被控訴人名義の不動産をエミ子や子供の名義に変えた外、その後間もなく、本件各土地の登記済証(権利証)を被控訴人から取り上げてしまった。なお、被控訴人の登録印鑑(実印)については、仮にこれを取り上げてみても、被控訴人において勝手に再登録手続をすることが明らかであると考えられたため、取り上げるまでのことはしなかった。」を付加する。

4  同四枚目表七行目から八行目にかけての「債務を返済した」の後に「(同時に右中村を権利者とする根抵当権設定登記も抹消された。)」を付加する。

二本件根抵当権設定契約締結の状況

本件根抵当権設定契約締結の状況については、次のとおり付加訂正する外、原判決の「第三 争点に対する判断」の二項に記載したとおり(同四枚目裏五行目の冒頭から同六枚目表七行目の末尾まで)であるから、これをここに引用する。

1  同四枚目裏九行目の「返済のために」を「返済のため必要であるとして、」に改める。

2  同五枚目表九行目末尾の後に「なお、被控訴人の勤め先、年収等の実際は、必ずしも右借入申込書の記載どおりではなく、被控訴人は宅配関係の仕事を自宅で行ったことはあったものの、それは一時のことであり、年収も右に記載した程ではなかった。また、被控訴人は、控訴人に対し、名古屋市内の喫茶店の営業権を近い内に買い受けたいと思っているとか、株の取引をしているので株券をも担保に入れてもよいとか、更には、ゴルフ会員権も持っているなどと、いずれも真実味のない言辞を弄してもいた。」を付加する。

3  同五枚目裏二行目の冒頭から同三行目の末尾までを次のとおり改める。

「被控訴人は、控訴人から本件各土地の登記済証(権利証)について尋ねられた際、それは、前記のとおり、真実は妻のエミ子に取り上げられていたのに、これを秘し、紛失したなどと偽った上、そのためいわゆる保証書でもって従前から担保権の登記が経由されている旨、及び右の保証書は愛知和光に預けてある旨を答えた。」

4  同五枚目裏五行目の「その妻も」から「回答を得、」までを「その妻も承知しているかどうかを確認したところ、被控訴人が真実は妻の承諾を得ていなかったにもかかわらず、承知している旨の回答をしたので、この回答内容に従って、」に改める。

5  同六枚目表七行目の後に行を変えて次にとおり付加する。

「4 なお、被控訴人は、本件借入れ及び本件根抵当権設定契約の締結に際し、控訴人に対し、自己が浪費癖を理由とする準禁治産者である旨は、終始これを黙秘していた。」

三詐術について

前記のとおり、被控訴人は、本件借入れ及び本件根抵当権設定契約の締結に際し、控訴人に対し、自己が浪費癖を理由として準禁治産宣告を受けている者であることは、終始これを黙秘していたものであるところ、民法二〇条にいう「詐術」に当たるというためには、無能力者が無能力者であることを単に黙秘することのみでは足らないが、その黙秘が、無能力者の他の言動などと相まって、相手方をして無能力者を能力者であるかのように誤信させ、またはその誤信を強めたものと認められるときは、右の「詐術」に当たるということができるものと解される(最高裁判所第一小法廷昭和四四年二月一三日判決、民集二三・二・二九一参照)。

そこで、本件根抵当権設定契約の締結当時における諸事情について検討すると、前記のとおり、被控訴人は、中村宗孝に対する債務を清算するため、いわゆる貸主の切替えを申し入れられ、同人から紹介を受けた愛知和光からの借入れによって右中村に対する債務を返済したが、更に、右愛知和光から右同様に貸主の切替えを求められ、愛知和光に代わる借入れ先として控訴人を紹介されていたのであるから、被控訴人としては、是が非でもこのようにして紹介された控訴人からの借入れによって愛知和光に対する債務を清算する必要に迫られていたものと推認される。その上、被控訴人は、当時、自己が準禁治産者であること及びその法律的な効果がどのようなものであるか、即ち、保佐人である妻エミ子の同意のない借入れや担保の提供等の行為は取り消し得るものであることを、経験的に十分知っていた(前記認定事実並びに原審及び当審における被控訴人、原審証人エミ子の各供述、なお、被控訴人は、原審において当初は、自己が準禁治産者であることは本件訴訟の提起まで知らなかったなどと述べていたが、その後及び当審においては、本件借入れ当時はもちろん、それ以前から自己が準禁治産者であることを知っていたことを認めている。前記の認定事実及び準禁治産宣告の手続等に徴しても、被控訴人の右当初の供述は到底信用できないところであるが、このように、被控訴人は、到底否定しうべくもない事実についてさえも、否定しようとしているのであって、このこと自体、本件借入れを含む諸般の財産上の取引に臨む被控訴人の言動・態度等の特徴を如実に表しているともいえる。)ことが明らかであるから、相手方である控訴人に対して自己が準禁治産者であることを知られないよう、慎重に対処したであろうこともまた容易に推認できるところである。そのため、被控訴人は、控訴人に知れることによって融資を断られる虞のあるような事情は可能な限りこれを隠蔽するなどして、控訴人からの借入れが実現できるようにひたすら努めたものと認められる。被控訴人が、控訴人から本件各土地の登記済証(権利証)について尋ねられた際、それは、真実は被控訴人の浪費癖によって本件各土地が処分されるのを防ぐため妻のエミ子によって取り上げられていたのに、これを秘し、紛失したなどと偽ったこと、本件借入れ及び本件根抵当権設定契約の締結に関して妻であるエミ子の承諾の有無を控訴人から問われた際、これまた、事実に反して、エミ子の承諾は得られている旨答えていること、控訴人に対する借入申込書への記載内容のうち、被控訴人の勤め先、年収等は、必ずしも実際どおりではなかった上、株券やゴルフ会員権も担保に入れることができるなどと真実味のないことを話していたこと等は、いずれもその現れということができる。

ところで、一般に金融等の取引に当たって、当事者は、当該取引が後に至って取り消されることとなるなどの虞のない有効なものとして成立すると信じて取引に臨むのが通常であり、特に、本件のような多額の金員の貸付及びこれに伴う担保契約の締結に際しては、貸主としては、右の契約が完全に有効なものとして成立すると信じて取引に臨むのは極めて自然なことであり、借主がはたして能力者か否かの点について特に疑問を抱かせるに足りるような状況でもない限り、借主が準禁治産者であったとして後に至って取り消されるに至るなど、その取引に係る契約が瑕疵あるものとして成立するなどということには到底思い至らないものというべきであって、現に、本件の場合においても、控訴人が、被控訴人の当初からの言動等にその能力者であることについて特に疑問をさしはさむに足りるような状況もなかったところから、被控訴人を完全な能力者と信じていたことは、先に見た経緯に徴しても、明らかである。そして、本件借入れ等に際して採られた被控訴人の前記虚偽を交えた積極的な言動によって、控訴人のその思い(被控訴人が能力者であるとの思い)は強まりこそすれ、減退することはなかったものと認められ(控訴人において、被控訴人から提出された本件各土地の登記簿謄本を検討した結果、被控訴人には従前から頻繁な金融取引が行われていたことを認識することができたことは、右の思いを特に強めることとなったと推認される。)、他方、被控訴人は、右のような経緯により控訴人が被控訴人の行為能力者について何らの疑念も抱いていないことに乗じ、その錯誤を利用して、控訴人から本件借入れを行い、併せて、控訴人との間に本件借入れに伴う担保契約を締結するに至ったものと認められる。

以上に見た被控訴人の控訴人に対する本件借入れの申込み及び本件根抵当権設定契約の締結に至るまでの経緯に徴すると、右の契約等の締結に際して被控訴人の採った前記の言動等は、(自己が準禁治産者であることを進んで告知せず、かえってこれを秘匿していたことと相まって、)控訴人をして、被控訴人が能力者であると誤信させ、またはその誤信を強めるに足りるものであったと認めるのに十分であり、したがって、右の契約等の締結に際し、被控訴人は民法二〇条にいう「詐術」を用いたものというべきである。

それ故、本件根抵当権設定契約について、被控訴人が準禁治産者であることを理由として行った取消しの意思表示はその効力を生じないものという外はなく、この点に関する控訴人の主張は理由がある。

第四結論

以上によれば、被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきであり、これと結論の異なる原判決は不当であり、本件控訴は理由がある。よって、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官服部正明 裁判官林輝 裁判官鈴木敏之)

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